この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ。

私の呼んだ本(主にライトノベル)についてまとめようかと思います。

劇場版ラブライブ!を見て。

 

 

劇場版ラブライブ!を見ました。

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公開日から一週間、あまりにも心に開いた穴が大きく、生気の抜けた日々を過ごしてしまいました。

ここらで一度気持ちに整理をつけるべく、感想なんかをつらつらと書こうかなと思います。

もう公開から一週間も経っているので、ネタバレがあーだこーだと眠たいことを言う人はいませんよね?

文章構成能力がないので、読みにくいかと思いますが、読んだあとに「うわぁこいつキモオタかよ……」と思っていただけたら幸いです。

 

 

映画の流れに沿って書きます。

まず、穂乃果の幼少期のエピソードでしたね。いやぁ穂乃果はいつどんな時代でも可愛いなぁ。水溜りを飛び越えるのに失敗したあとのふくれっ面がたまらん。水溜りになりたかった……

二度目の挑戦のとき、ロリ穂乃果の中に流れてきた「らららんらん♪」と言う曲。まぁ明らかに「Sunny Day Song」な訳ですが、なんで、この時期の穂乃果にこの曲が聴こえてきたのは皆目見当がつきません。今回なんだかんだファンタジーな味のする映画なので、理由を求めるだけ野暮かと思いますが。幼少期穂乃果には何の曲かはわからなかったでしょうが、なんだか、飛ぶための勇気と翼をあたえてくれたように思います。

 

舞台は移って、アメリカのNY。

おや、けいおんかな??ばりの劇場版の定番ですね海外。まぁそういう映画をけいおん以外知らないですけど。

個人的に穂乃果たちの乗ったタクシーのナンバー、1230という番号がかなり気になる。next winterと告知された次回のライブの日付……?なんて勘繰っておりますが、まぁ違うかなぁ。何か思い当たることがあれば教えてください。

NYでは、いつものμ'sの日常が繰り広げられます。凛の言うように、秋葉原に似ている雰囲気を持っているというNYで、穂乃果たちはいつものように元気な姿を見せてくれました。久しぶりの映像で動くいつものみんなを見れて、ほっとしたと言うか緊張がほぐれました笑。だって予告映像で「最後になにが出来るのか?」なんて言われていたら、否が応にも緊張するでしょう。ホントに終わりなんだなぁと。

凛と言えば、「Hello,星を数えて」ですよね。でこだし可愛すぎかと思います。突然の雨に立ち往生するみんな、ここで穂乃果の天候操作のことを思い出したのは私だけではないはず。と思ったらなんとなんと凛が前に出るじゃないですか。そしてこれまた突然のミュージカル演出。テレビアニメ一期のススメ→トゥモロウを彷彿とする演出に、「あぁなんだか懐かしいな」と思うと同時に、ここで一気に映画の中に引き込まれました。そこまではなんとなく映像を眺めている感がありましたが、もって行かれましたね笑。

そして、穂乃果の謎の女性シンガーとの出会い。なんで謎なのかと言うのは、まぁ2chの劇場版の感想スレが喧々囂々、侃々諤々といった感じだったもので。

この女性シンガーの正体は、この映画きっての考察厨の沸きどころでした。私はあれこれ考えながら、小説や漫画などの物語を読むのは得意じゃないので、感じたまま感想を書きますが、大人穂乃果であるといいなぁと思っています。瞳の色や仕草といった身的特徴はいろいろあるかなと思いますが、個人的に「あ、こいつ穂乃果だな」と思ったのは穂乃果と電車の中で会話するシーンで、マイクを忘れたかもという件があったかと思います。あそこで彼女が穂乃果にすぐそこにマイクがあることを指摘されて、テヘペロとばかりのおどけた顔をしましたよね?アレを見たとき私の頭の中には、「もぎゅっと love で接近中!」のPVで穂乃果がキスをせがむ振りをして、チョコを差し出し、おどけるシーンを思い出しました。自宅に帰って改めてPVを見たら、「あれ、そんなに似てねぇや」と思いましたが、自分はあそこで女性シンガーは大人穂乃果であると刷り込まれました。f:id:delta289:20150620200329j:plain

当時の穂乃果がなにに悩んでいるのか知っているような口ぶりをする女性シンガー。ここで穂乃果は何のために歌うのかと問いかけられます。この問いが映画後半のテーマになっていきます。てか穂乃果以外のメンバーに見えてないとか大人穂乃果ほんとに何者だ…あと、同じアキバを舞台としたタイムストリッパー同士、シュタゲとコラボしてくれ。ていうかそういうSSが読みたい。頼む。

NY編最後を飾るのは「Angelic Angel」

まぁどこでも再三言われていますが、エリチカの色気やべぇ。イントロの流し目も好きですが、私はアウトロで絵里が前に出て、扇子で手のひらを二回とんとんと叩くところが好きです。あとサビの入り前にタイミング合わせるために待っている希もなんとなくツボです。

 

そして日本に戻ってきたらまさかの大ブレイク。

μ'sは新たな問題を抱えます。ラブライブのため、みんなの期待のため、μ’sを続けた方がいいのか。学校の中庭に集まって話し合うシーンで、にこがやめるべきとは言いつつも、苦い顔をしていたことが印象的です。心中複雑だろうなぁ。あと、みんなに決断を迫られる穂乃果。背負えるものなら俺がその荷を背負ってあげたかった…。

亜里沙に楽しくないのかと問われたあとの、穂乃果とアライズの会話も印象的です。今の輝きに永遠を求めたアライズ。やはりμ’sとは根源が違うのだなと感じました。

 

大人穂乃果再登場。

どうして出てきたのかなんて、野暮い考察はSF映画でやってくれ。それが美しい流れだろうが。

穂乃果が雨の中苦悩しているときに「続けたほうがいいのかな。でも、それって…」という台詞がありましたが、この先に続く言葉がわかりません。読解力に自信ニキは教えてください。スクールアイドルではいられない系の意味だろうとは思うのですが、ぴったり嵌る言葉が思いつきません。

あの花園と水溜り(池?)のシーンは私的泣きポイントの屈指です。

ここでの穂乃果最高すぎる。大人穂乃果出てくる必要なくね?という友人がいたのですが、とんでもない。ここですべてが繋がる。あそこでの幼少期穂乃果、高校生穂乃果、大人穂乃果の対比がとんでもなく素晴らしい。飛ぶことに挑戦していた過去、飛ぶことを悩んでいた現在、飛べることを教えに来た未来。「飛べるよ。いつだって飛べる。あの頃のように」最高のセリフかぁ!?

あと、水面には空が写っていましたよね。クソ個人的な解釈ですが、水は鏡の暗示。鏡は自分の姿を映すものなので、あそこで穂乃果は自分を乗り越え、大きく成長したのだと思います。

そして絵里たち3年生組の結論。あそこでもにこはなんだか納得のいかない表情をしていたように思います。スクールアイドルが好き。そういうことだったんだなって感じです。

桜並木の中を穂乃果が学校へ走ってくるシーン。一期一話の学校から駆け出していくシーンと繋がってるような気がして、感動しました。ここで学校にかえって来るという演出が、μ’sとして過ごした輝かしい時間を、学校という場所に閉じ込めているように感じました。

全員の答えは一緒でした。何のために歌うのか。それは、スクールアイドルが好きだから。そこで精一杯輝こうとする青春はそのときだけのものだから。

 

穂乃果はスクールアイドルの素晴らしさを伝えるために、ライブを計画します。

ここでの一連の流れが、現実のラブライブの流れを踏襲していたように思いました。

直接みんなに会いに行く→μ’sファンミーティングツアー

みんなでひとつの歌を歌う→みんなで作るμ’sの歌、ミはμ’sicのミ

そして「Sunny Day Song」後の記念撮影での手でLを作る決めポーズ。

ここまで、現実の方も汲んでくれてると、現実の方もアニメ版に順じて解散……?なんて一抹の不安もよぎってしまいました。そうなったら首吊りまふ。

 

二年生の「Future style」は私的に映画の曲の中でダントツで好きです。穂乃果推し、引いては二年生推しをこじらせてるだけかもしれませんが。ススメ→トゥモロウのようでかなりお気に入りです。

 

ライブ当日の朝のシーン。一人でみんなを待っていたにこに、一期のときの独りぼっちのアイドル研究会にみんなが集まってきたときを思い起こさせて、うるっときました。みんなとのやり取りでふっと笑顔を見せたにこに、やっと憑きものが落ちたようで安心しました。

穂乃果がみんなを追うために駆け出すところに降ってきた花びら。ススメ→トゥモロウで穂乃果が頭につけていた花だと思うのですが、これのおかげで初心みたいなものを思い出したのかなぁと思いました。挑戦することに、飛ぶことに迷うことなく一直線に、スクールアイドルに向かっていたあの頃。ここでの「飛べるよ。いつだって~」の台詞は、幼少期の頃と二年生の春のあの頃をさしているのかなぁと、穂乃果の成長を感じました。

そして「Sunny Day Song」ですよ。まさにスクールアイドル賛歌。衣装がなんとなくマーチっぽかったので、みんなをμ’sが引っ張っているように感じました。あー穂乃果可愛かった。

 

そして伝説へ

μ’sは見事に輝く光になりました。「僕たちはひとつの光」はまぁなんと言っても歌詞が最高。メンバーの名前が入ってるっていうのもありますが、サビの「ことりの翼がついに大きくなって」という歌詞と、START DASH!!のAメロの「産毛の小鳥たちもいつか空に羽ばたく」の対比ですよね。畑亜貴なにもんなんだほんと。

あとあのステージ。蓮だと思うんですけど、私は蓮に対して極楽浄土みたいな天国のようなイメージを持っていて、なんだか天に召されてしまったのかと感じました。映画を見たあとに調べたのですが、一蓮托生という言葉には、死後、極楽の同じ蓮華の上に生まれることという意味があるそうです。なんだか私の持ったイメージと一致していて、とても寂しいというか切ない気持ちになりました。すべてをやり遂げて光となったμ’sには、神秘的なイメージであの曲がふさわしかったといえばそうなのですが、どうしても胸に刺さります。

今が最高ってフレーズも胸にきます。そもそも映画の楽曲にかかわらず”今”というワードはいろんな曲に散見すると思うのですが、こういうことか。今今と強調されると逆に終わりを意識してしまって寂しくなりました。

んで、エンドロールのシーンです。

みんなの練習着が脱ぎ置かれていて、捨て去ったというわけではないでしょうが、そういうイメージを感じさせられました。そして最後の羽が落ちてくるシーン。飛び立ってしまったみんなの羽が落ちてきた。あるいは、2期エンディングでは誰かが羽を掴んで終わっていましたが、今回は誰も掴まない。みんな飛び立ってしまったのでしょう。

あと個人的最泣きポイントはラブライブのロゴが出るとこです。Lの字が二つに分かれるところで、感極まりました。あぁ終わってしまったんだなと、これで本当に終わりかぁ完膚なきまでに綺麗に終わったなぁと。

 

 

総括すると「あぁおわっちゃったぁ」って感じです。

ストーリーがあーだこーだというよりも、終わってしまった喪失感がでかい。内容的にはラブライブというプロジェクトはまだまだ続くよ!って感じでしたが、μ’sが終わってしまうのはとても悲しいです。いろんなメディアミックスの中で、アニメと言うひとつの媒体が終わってしまっただけというのは理解はしているつもりです。多方面ではまだまだ続くし、私もG'sマガジンは購読してるので、紙面上の企画としては終わる気配をおくびにも出していないのはわかっています。しかし、アニメから入った身としては、穂乃果たちの動き回っている姿がラブライブのすべてでしたので、とんでもない喪失感を味わいました。ここ一週間、ずっと穂乃果の幻影を追いかけ続けていました。オタク歴は長い気でいましたが、ここまでハマった作品はなかったので、終わりに耐性がないこともあるかもしれません。

心にぽっかり開いた穴を見て、そこに嵌っていたものの大きさに気づきました。失ってから気づくではないですが、自分はそんなにラブライブが好きだったのかと、キモオタすぎかと思い知らされました。

まぁこういうものは往々にして時間が解決してくれるものです。あるいはなんども映画を視聴する中で、メンタルが鍛えられるかもしれません。

というかこの記事を書く中でいろいろ思い出しすぎて心臓が痛いんですけど。あぁ終わらないでくれ~~~~~

 

目を瞑れば、瞼の裏には穂乃果の笑顔が……

そんな弱った生活を、あと数週間はすることになりそうです。

SIDがアニメ化したら俺は救われるかもしれない。頼むGODよ。

 

てかこの記事長すぎ。ここまで読んだ人は医者にかかったほうがいいかもしれない。こんな取り留めのない文に付き合っていただきありがとうございました。