この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ。

私の呼んだ本(主にライトノベル)についてまとめようかと思います。

the 一周年 ~ただいま~

おかえり。

f:id:delta289:20151126004939j:plain

お遊びで始めたこの場所も一年経ちました。

これもひとえに皆様のご協力のたまものと深く感謝しております。

開設してから一年続けたと豪語するには、いささか更新回数が少ないようには感じられますが、そこはご愛嬌。

そもそもこのブログの存在自体忘却の彼方にあり、一周年というこのタイミングで「あ、記事更新しよう」と思い至ることができたことは奇跡に近いものがあります。

この奇跡の記事を読み得た皆様に天下無敵の幸運が訪れますように。

 

さて、私の近況をば。

最近は「超次元ゲイム ネプテューヌ」という、ゲームをはじめとしたコンテンツに傾注しております。

ゲームが好きな方なら名前くらいは聞いたことはあるのではないでしょうか。2010年に一作目を世に出して以来、この五年で実に10作以上もの作品を放出している、プレイする層に偏りはありますが、人気ゲームといっても差し支えのない作品であるかと思います。

”擬人化×萌え×変身”をキャッチコピーとして推しだされた本作の魅力は、キャラクターの可愛さと斬新な世界観にあると思います。

実際のゲーム業界の世相をモチーフにした異世界「ゲイムギョウ界」を舞台に、萌え擬人化されたゲームハードやメーカーが団結して世界を脅かす巨悪に立ち向かう…といった内容のRPG

特徴的なフィーチャーとして、そもそもゲームプラットフォーム競争やマジコン問題をモチーフとしている世界観を始めとして、登場人物や作中用語、発生するイベント等の殆どが、実在するゲーム業界関連用語に因む内容になっている、という点が挙げられます。

加えてネットスラング等に由来するネタも豊富に含まれており、知っている人間はニヤリとさせられる、どころか頬が引き攣るようなブラックジョークが放たれることも珍しくはありません。

作品の雰囲気的な魅力はこんなところでしょうか。全て楽しむには多少予備知識が要求されますが、ニコニコ動画2chの文化に親しみ、馴染みのある方には概ね大丈夫かと。

私が思うに最大の魅力はキャラクターの可愛さだと思います。ネプテューヌが可愛すぎて生きるのがつらい。

f:id:delta289:20151126012849j:plain

上の画像の二人は同一人物、どちらもネプテューヌです。キャッチコピーにある”変身”のその実態です。

もともと天真爛漫で元気なキャラクターが好みなので、ネプテューヌを好きになることは確定的に明らかでしたが、この変身のギャップにもかなりやられました。

変身前(画像の右)はいつもとぼけており天然な女の子ですが、変身する(画像の左)と冷静な口調になり、巨乳になります。

この変身後の大人の女性然とした姿もとても魅力的で惚れ惚れします。この姿でもたまにふざけたことを言うのですが、普段との切れ味3倍ましで面白いです。根にあるところは変わらないんだなぁっとなんだかほっこりします。

名実共に僕の好きな女の子ランキングトップ5には入る屈指の実力者です。

 

 

このゲーム、発売当初からやりたいやりたいと思っていたのですが、なぜ今になってプレイし始めたのかというと、このゲーム、ゲームとして非常に評価が悪いのです。

一作目など正直お金を払ってプレイするには堪えない出来でした。しかし、いろいろシステムを改善されたre;birthシリーズが出たのでvitaを買ったこの機会にプレイすることにしました。

やってみると存外に面白く、ドはまりしまして、今に至ります。程よい難易度で楽しく遊べました。トロフィーコンプリートまでしてしまいました。周回プレイをするにはキャラクター愛がないと厳しいかもしれません。しかし、どんなにゲームとしてクソでも、キャラが可愛ければ十分なんですよね。この辺りの考え方は、私のラノベに対してのスタンスにも通じるものだと思います。私にとっての娯楽とは、可愛い女の娘とそれを彩る物語を観賞することなのです。

 

いっぱい書きたいことがあったような気がしましたが、書き起こしてみればこんなものでした。文章を書く機会があるたびに思うのですが、一応は読書を趣味とする者として、もう少し上手な文章を書けないものか。やはり読むものを考えたほうがいいのかもしれません。駄文に付き合っていただきありがとうございました。

 

ここらで筆を置かせていただきます。師が走り回るほどご多忙とされる季節、皆様におきましては、風邪など召されませぬようご自愛ください。

 

劇場版ラブライブ!を見て。

 

 

劇場版ラブライブ!を見ました。

f:id:delta289:20150620200324j:plain

公開日から一週間、あまりにも心に開いた穴が大きく、生気の抜けた日々を過ごしてしまいました。

ここらで一度気持ちに整理をつけるべく、感想なんかをつらつらと書こうかなと思います。

もう公開から一週間も経っているので、ネタバレがあーだこーだと眠たいことを言う人はいませんよね?

文章構成能力がないので、読みにくいかと思いますが、読んだあとに「うわぁこいつキモオタかよ……」と思っていただけたら幸いです。

 

 

映画の流れに沿って書きます。

まず、穂乃果の幼少期のエピソードでしたね。いやぁ穂乃果はいつどんな時代でも可愛いなぁ。水溜りを飛び越えるのに失敗したあとのふくれっ面がたまらん。水溜りになりたかった……

二度目の挑戦のとき、ロリ穂乃果の中に流れてきた「らららんらん♪」と言う曲。まぁ明らかに「Sunny Day Song」な訳ですが、なんで、この時期の穂乃果にこの曲が聴こえてきたのは皆目見当がつきません。今回なんだかんだファンタジーな味のする映画なので、理由を求めるだけ野暮かと思いますが。幼少期穂乃果には何の曲かはわからなかったでしょうが、なんだか、飛ぶための勇気と翼をあたえてくれたように思います。

 

舞台は移って、アメリカのNY。

おや、けいおんかな??ばりの劇場版の定番ですね海外。まぁそういう映画をけいおん以外知らないですけど。

個人的に穂乃果たちの乗ったタクシーのナンバー、1230という番号がかなり気になる。next winterと告知された次回のライブの日付……?なんて勘繰っておりますが、まぁ違うかなぁ。何か思い当たることがあれば教えてください。

NYでは、いつものμ'sの日常が繰り広げられます。凛の言うように、秋葉原に似ている雰囲気を持っているというNYで、穂乃果たちはいつものように元気な姿を見せてくれました。久しぶりの映像で動くいつものみんなを見れて、ほっとしたと言うか緊張がほぐれました笑。だって予告映像で「最後になにが出来るのか?」なんて言われていたら、否が応にも緊張するでしょう。ホントに終わりなんだなぁと。

凛と言えば、「Hello,星を数えて」ですよね。でこだし可愛すぎかと思います。突然の雨に立ち往生するみんな、ここで穂乃果の天候操作のことを思い出したのは私だけではないはず。と思ったらなんとなんと凛が前に出るじゃないですか。そしてこれまた突然のミュージカル演出。テレビアニメ一期のススメ→トゥモロウを彷彿とする演出に、「あぁなんだか懐かしいな」と思うと同時に、ここで一気に映画の中に引き込まれました。そこまではなんとなく映像を眺めている感がありましたが、もって行かれましたね笑。

そして、穂乃果の謎の女性シンガーとの出会い。なんで謎なのかと言うのは、まぁ2chの劇場版の感想スレが喧々囂々、侃々諤々といった感じだったもので。

この女性シンガーの正体は、この映画きっての考察厨の沸きどころでした。私はあれこれ考えながら、小説や漫画などの物語を読むのは得意じゃないので、感じたまま感想を書きますが、大人穂乃果であるといいなぁと思っています。瞳の色や仕草といった身的特徴はいろいろあるかなと思いますが、個人的に「あ、こいつ穂乃果だな」と思ったのは穂乃果と電車の中で会話するシーンで、マイクを忘れたかもという件があったかと思います。あそこで彼女が穂乃果にすぐそこにマイクがあることを指摘されて、テヘペロとばかりのおどけた顔をしましたよね?アレを見たとき私の頭の中には、「もぎゅっと love で接近中!」のPVで穂乃果がキスをせがむ振りをして、チョコを差し出し、おどけるシーンを思い出しました。自宅に帰って改めてPVを見たら、「あれ、そんなに似てねぇや」と思いましたが、自分はあそこで女性シンガーは大人穂乃果であると刷り込まれました。f:id:delta289:20150620200329j:plain

当時の穂乃果がなにに悩んでいるのか知っているような口ぶりをする女性シンガー。ここで穂乃果は何のために歌うのかと問いかけられます。この問いが映画後半のテーマになっていきます。てか穂乃果以外のメンバーに見えてないとか大人穂乃果ほんとに何者だ…あと、同じアキバを舞台としたタイムストリッパー同士、シュタゲとコラボしてくれ。ていうかそういうSSが読みたい。頼む。

NY編最後を飾るのは「Angelic Angel」

まぁどこでも再三言われていますが、エリチカの色気やべぇ。イントロの流し目も好きですが、私はアウトロで絵里が前に出て、扇子で手のひらを二回とんとんと叩くところが好きです。あとサビの入り前にタイミング合わせるために待っている希もなんとなくツボです。

 

そして日本に戻ってきたらまさかの大ブレイク。

μ'sは新たな問題を抱えます。ラブライブのため、みんなの期待のため、μ’sを続けた方がいいのか。学校の中庭に集まって話し合うシーンで、にこがやめるべきとは言いつつも、苦い顔をしていたことが印象的です。心中複雑だろうなぁ。あと、みんなに決断を迫られる穂乃果。背負えるものなら俺がその荷を背負ってあげたかった…。

亜里沙に楽しくないのかと問われたあとの、穂乃果とアライズの会話も印象的です。今の輝きに永遠を求めたアライズ。やはりμ’sとは根源が違うのだなと感じました。

 

大人穂乃果再登場。

どうして出てきたのかなんて、野暮い考察はSF映画でやってくれ。それが美しい流れだろうが。

穂乃果が雨の中苦悩しているときに「続けたほうがいいのかな。でも、それって…」という台詞がありましたが、この先に続く言葉がわかりません。読解力に自信ニキは教えてください。スクールアイドルではいられない系の意味だろうとは思うのですが、ぴったり嵌る言葉が思いつきません。

あの花園と水溜り(池?)のシーンは私的泣きポイントの屈指です。

ここでの穂乃果最高すぎる。大人穂乃果出てくる必要なくね?という友人がいたのですが、とんでもない。ここですべてが繋がる。あそこでの幼少期穂乃果、高校生穂乃果、大人穂乃果の対比がとんでもなく素晴らしい。飛ぶことに挑戦していた過去、飛ぶことを悩んでいた現在、飛べることを教えに来た未来。「飛べるよ。いつだって飛べる。あの頃のように」最高のセリフかぁ!?

あと、水面には空が写っていましたよね。クソ個人的な解釈ですが、水は鏡の暗示。鏡は自分の姿を映すものなので、あそこで穂乃果は自分を乗り越え、大きく成長したのだと思います。

そして絵里たち3年生組の結論。あそこでもにこはなんだか納得のいかない表情をしていたように思います。スクールアイドルが好き。そういうことだったんだなって感じです。

桜並木の中を穂乃果が学校へ走ってくるシーン。一期一話の学校から駆け出していくシーンと繋がってるような気がして、感動しました。ここで学校にかえって来るという演出が、μ’sとして過ごした輝かしい時間を、学校という場所に閉じ込めているように感じました。

全員の答えは一緒でした。何のために歌うのか。それは、スクールアイドルが好きだから。そこで精一杯輝こうとする青春はそのときだけのものだから。

 

穂乃果はスクールアイドルの素晴らしさを伝えるために、ライブを計画します。

ここでの一連の流れが、現実のラブライブの流れを踏襲していたように思いました。

直接みんなに会いに行く→μ’sファンミーティングツアー

みんなでひとつの歌を歌う→みんなで作るμ’sの歌、ミはμ’sicのミ

そして「Sunny Day Song」後の記念撮影での手でLを作る決めポーズ。

ここまで、現実の方も汲んでくれてると、現実の方もアニメ版に順じて解散……?なんて一抹の不安もよぎってしまいました。そうなったら首吊りまふ。

 

二年生の「Future style」は私的に映画の曲の中でダントツで好きです。穂乃果推し、引いては二年生推しをこじらせてるだけかもしれませんが。ススメ→トゥモロウのようでかなりお気に入りです。

 

ライブ当日の朝のシーン。一人でみんなを待っていたにこに、一期のときの独りぼっちのアイドル研究会にみんなが集まってきたときを思い起こさせて、うるっときました。みんなとのやり取りでふっと笑顔を見せたにこに、やっと憑きものが落ちたようで安心しました。

穂乃果がみんなを追うために駆け出すところに降ってきた花びら。ススメ→トゥモロウで穂乃果が頭につけていた花だと思うのですが、これのおかげで初心みたいなものを思い出したのかなぁと思いました。挑戦することに、飛ぶことに迷うことなく一直線に、スクールアイドルに向かっていたあの頃。ここでの「飛べるよ。いつだって~」の台詞は、幼少期の頃と二年生の春のあの頃をさしているのかなぁと、穂乃果の成長を感じました。

そして「Sunny Day Song」ですよ。まさにスクールアイドル賛歌。衣装がなんとなくマーチっぽかったので、みんなをμ’sが引っ張っているように感じました。あー穂乃果可愛かった。

 

そして伝説へ

μ’sは見事に輝く光になりました。「僕たちはひとつの光」はまぁなんと言っても歌詞が最高。メンバーの名前が入ってるっていうのもありますが、サビの「ことりの翼がついに大きくなって」という歌詞と、START DASH!!のAメロの「産毛の小鳥たちもいつか空に羽ばたく」の対比ですよね。畑亜貴なにもんなんだほんと。

あとあのステージ。蓮だと思うんですけど、私は蓮に対して極楽浄土みたいな天国のようなイメージを持っていて、なんだか天に召されてしまったのかと感じました。映画を見たあとに調べたのですが、一蓮托生という言葉には、死後、極楽の同じ蓮華の上に生まれることという意味があるそうです。なんだか私の持ったイメージと一致していて、とても寂しいというか切ない気持ちになりました。すべてをやり遂げて光となったμ’sには、神秘的なイメージであの曲がふさわしかったといえばそうなのですが、どうしても胸に刺さります。

今が最高ってフレーズも胸にきます。そもそも映画の楽曲にかかわらず”今”というワードはいろんな曲に散見すると思うのですが、こういうことか。今今と強調されると逆に終わりを意識してしまって寂しくなりました。

んで、エンドロールのシーンです。

みんなの練習着が脱ぎ置かれていて、捨て去ったというわけではないでしょうが、そういうイメージを感じさせられました。そして最後の羽が落ちてくるシーン。飛び立ってしまったみんなの羽が落ちてきた。あるいは、2期エンディングでは誰かが羽を掴んで終わっていましたが、今回は誰も掴まない。みんな飛び立ってしまったのでしょう。

あと個人的最泣きポイントはラブライブのロゴが出るとこです。Lの字が二つに分かれるところで、感極まりました。あぁ終わってしまったんだなと、これで本当に終わりかぁ完膚なきまでに綺麗に終わったなぁと。

 

 

総括すると「あぁおわっちゃったぁ」って感じです。

ストーリーがあーだこーだというよりも、終わってしまった喪失感がでかい。内容的にはラブライブというプロジェクトはまだまだ続くよ!って感じでしたが、μ’sが終わってしまうのはとても悲しいです。いろんなメディアミックスの中で、アニメと言うひとつの媒体が終わってしまっただけというのは理解はしているつもりです。多方面ではまだまだ続くし、私もG'sマガジンは購読してるので、紙面上の企画としては終わる気配をおくびにも出していないのはわかっています。しかし、アニメから入った身としては、穂乃果たちの動き回っている姿がラブライブのすべてでしたので、とんでもない喪失感を味わいました。ここ一週間、ずっと穂乃果の幻影を追いかけ続けていました。オタク歴は長い気でいましたが、ここまでハマった作品はなかったので、終わりに耐性がないこともあるかもしれません。

心にぽっかり開いた穴を見て、そこに嵌っていたものの大きさに気づきました。失ってから気づくではないですが、自分はそんなにラブライブが好きだったのかと、キモオタすぎかと思い知らされました。

まぁこういうものは往々にして時間が解決してくれるものです。あるいはなんども映画を視聴する中で、メンタルが鍛えられるかもしれません。

というかこの記事を書く中でいろいろ思い出しすぎて心臓が痛いんですけど。あぁ終わらないでくれ~~~~~

 

目を瞑れば、瞼の裏には穂乃果の笑顔が……

そんな弱った生活を、あと数週間はすることになりそうです。

SIDがアニメ化したら俺は救われるかもしれない。頼むGODよ。

 

てかこの記事長すぎ。ここまで読んだ人は医者にかかったほうがいいかもしれない。こんな取り留めのない文に付き合っていただきありがとうございました。

 

 

 

2015年がやってきた。

あけましておめでとうございます。f:id:delta289:20150224224244p:plain

 

はい。3ヶ月ぶりくらいの更新です。

 

 

この間、でるた氏は決して怠けていたわけではない。断じて違う。

ラノベだってこの空白期に20冊以上は読んだ。

オタクイベントだって、あの「μ’s GO!GO!! LOVE LIVE ! dream sensertion!」(こんな名称だったよね?)に現地で参戦した。

 

ではなぜこの私の息吹ともいえるブログの更新が途絶えていたのか。

 

 

 

 

 

 

忘れていたのである。

「そうか。忘れていたのでは仕方がない」

でるた氏はそう言った。

「しかし、このままではいけない。こんなことでは社会からの信用が得られない。だがいったい何が原因でこうなったのだ……」

 

ぶつぶつと疑問を唱えながら、でるた氏はふらりとラーメン屋へ入った。

「そうだ。ここは一度あったかいラーメンを食べて、気持ちを取り戻そう」

舌が火傷するほどの熱々のラーメンを、ほくほくと頬張るでるた氏。

「はぁ。今年もいい年になりそうだ」

 

 

ひとまず目先には久保ユリカ単独イベント、胃痛ラジオのイベントが3月1日に迫っている。

「去年の夏から月一のペースで久保さんとは会っている。これはもう恋仲であるといっても過言ではないのではないだろうか」

 

次に会うときの第一声はなんと声をかけようかと考えふけりながら、ラーメンの汁をすするのであった。

 

 

 

 

 

旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。

 お久しぶりです。もうすっかり冬ですね。布団から出られません。

 

 不覚にもナミダポロリチャンネルしてしまった作品に出会ったので、この猛る想いを形にしておこうと筆をとった次第でございます。

 

 さて、今回感想をまとめようと思いました作品はこちらになります。

f:id:delta289:20141217005338j:plain

 

 今回は表紙買いではありません。この表紙で興味を惹かれるという方は珍しいのではないでしょうかね。イラスト担当は方蜜さん。背景といいますか風景はとても味のある絵を描かれているのですが、いかんせんキャラクターは流行の絵柄ではないですしね。。。私も正直「んー……可愛い?か?まぁまぁまぁまぁラノベは絵じゃない絵じゃない……」と言い聞かせて、目をつぶったまま買い物籠に入れたほどです笑

 

 作者は萬屋直人さん。本書が第何回目かの電撃大賞受賞作品で、自身のデビュー作だそうです。これ以降に執筆した作品がないようなので私も存じ上げませんでした。

 

 

 

 さて、早速中身に触れていこうと思います。まずあらすじは

 

 世界は穏やかに滅びつつあった。「喪失症」が蔓延し、次々と人間がいなくなっていったのだ。人々は名前を失い、色彩を失い、やがて存在自体を喪失していく…。そんな世界を一台のスーパーカブが走っていた。乗っているのは少年と少女。他の人たちと同様に「喪失症」に罹った彼らは、学校も家も捨てて旅に出た。目指すのは、世界の果て。辿り着くのかわからない。でも旅をやめようとは思わない。いつか互いが消えてしまう日が来たとしても、後悔したくないから。記録と記憶を失った世界で、一冊の日記帳とともに旅する少年と少女の物語。

 

 だそうです。アマゾンから引用しました。先ほど私は表紙買いをしていないと申し上げましたが、じゃあどこに魅力を感じて読もうと思ったのかといいますと、このあらすじです。

 いかにも気になりますよねこのあらすじ。まぁあらすじというものは気を惹いて何ぼというものなんですが。。。すごいですよねあらすじを書く人って。うまい書き方をするなぁと思います。自慢ではないのですが、普段から浴びるようにラノベを読んでるものとしましては、あらすじでなんとなく作品の質が測れるような気がするんです。そんな異能に目覚めた私としてはこのあらすじはグッドでした。少年少女の二人旅っていいですよね。とても甘酸っぱそうで。さらに「喪失症」ですって。何だよそれ。

 

 喪失病とは簡単に言えば存在を失う病気だそうです。原因、発症条件、治療法などはすべて不明。喪失症の症状は段階的に表れる。これらの症状の進行には大幅な個人差があり、突然急速に進行したり逆にある段階で止まったりすることもある。だそうです。「進行」という言葉が使われているとおり、徐々に存在を失っていきます。

 存在を失うって何だよ。というツッコミが多数問い合わせられちゃう。存在を失うということは死ぬということとは違います。本書では喪失病の進行度合いと合わせてどのようなことが起きるのか書かれています。

 

 1.名前の喪失最初の症状として、発症者の名前を誰ひとりとして思い出せなくなる。これは本人も例外ではなく、また紙などに書かれた名前に関しても、その部分が白紙化することで失われる。ただし、失われる名前は本名だけであり、あだ名は失われない。この症状は薬、都市などの無機物にも発症する。そのため、この世界の道路標識は地名が消えたものがほとんどである。無機物に発症した場合、この先の段階に進むことはない。

 2.顔の喪失発症者の顔を映した写真、絵画が白紙になり、さらに誰も発症者の顔を思い出せなくなる。

 3.色の喪失発症者の体から色がなくなる。最初は色白程度だが、最終的には白黒映画のような完全なモノクロとなる。

 4.影の喪失光が発症者を透過するようになり、影がなくなる。

 5.存在の喪失発症者は最後に存在を失い、この世から消える。その際、その人が残した文章や絵、その人に関する記述やデータなど、その人の痕跡がすべてこの世から消え、残るものはその人のそばにいた人たちの記憶のみであり、それさえも顔や名前が思い出せない希薄なものである。ただし、人間の存在の喪失とともに消えるものは、確実にその人と関連があるとわかるものであり、「誰が誰について書いたのかわからない文章」などは消えない。

 

 長いんだよハゲ。ひぃ怒らないで。ステイステイ。まぁ読んでいただければわかると思います。この設定をみて真っ先に思ったことは「灯火」に似てるなということです。皆様はご存知でしょうか、灼眼のシャナに出てくる人の形をした存在を消費し続けるだけの傀儡、です。まぁ詳しく解説してしまうと私のシャナ愛が爆発して、負荷に耐え切れず、はてなブログのサーバーが消し飛ぶ恐れがありますので、控えておきます。喪失病と等しいものと考えてもらってかまいません。

 私がなぜシャナを引き合いに出したかというと、同じ「存在の消失」という背景のある世界で、シャナはそれに見合った暗いお話になっています。(といってもそれがテーマになるのは最初の巻位のものですが。。。) ところが、本書は明るい雰囲気のある作品だったからです。

 シャナでは灯火となってしまった主人公の、消失への恐怖や、何も残せないなら自分の生きいている価値とは。。。などなど凄まじい懊悩に苦しむ描写があります。

 翻って本書では登場人物みんなが前を向いています。こんな世界にもかかわらず絶望に満ちた雰囲気は読み取れませんでした。それは、単純にそういう描写がなかっただけといわれたらそこまでですが、登場人物がみなやるべきことを見据えていたからだと思います。残された時間を満足がいくように使いたい。と、ポジティブな登場人物が多かったからなのかなぁと。

 

  

 いやー、女の子と二人旅って夢詰まりすぎでしょ。世界の果てまで行こうだなんて。あぁ^~。

 バイクに二人乗りっていうのがまた最高にそそります。俺も後ろから抱きつかれてぇなぁ。俺の場合抱きついてくれるのはシートベルトくらいなもんで。待てよ、座席を女性と考えたらさいっこうにエロいな。。。

 あ、でもそうしたら多人数用の後部座席ってクソビッチじゃん。あーやだやだきたねぇベルトを俺に巻くんじゃねぇよ。ひっこぬくぞ。

 

 二人の旅には目的地はなく、どこまでも二人で一緒にという強い想いが伝わってきてこちらも悶えるほかありませんでした。

 すっかり表紙の女の子も可愛くて仕方がなくなりました。もじ の ちから って すげぇ。

 

 この本のテーマは「明日死ぬとしたらどうしますか?」って感じでしょうか。耳だこな問いですが、一度きちんと考えてみるべきかもしれません。

 

 

 眠いんでこの辺にしときます。寒くなってきたのでちゃんと布団で寝たい……

 

 それでは皆さん、壮健で。

A&Gオールスター2014

 すっかり冬の陽気ですね。

 自分の限界まで厚着をしない短パン小僧気質の私も、とうとうマフラーを出しました。

 そして、マフラーを巻こうとして気づいたんです……これストールじゃん。

 実はストールという衣類を最近知りましてね。いやどんだけファッション原始人なんだよ。しかしおかげで私も去年からマフラーだと思って巻いていた布がストールだという真理にたどり着きました。なんかみんなの巻いてるやつとちげぇなぁと思ってたんだよなぁ……。

 

 はい、というわけで行ってきましたA&Gオールスター!!

f:id:delta289:20141207233321j:plain

 皆さんご存知、超A&Gのイベントです。 

 私は今回のイベントになんと最前席でお邪魔させていただきました。

 

 イベントのレポートをしますと、まず三澤紗千香さんと豊崎愛生さんのrealおかえりらじおからイベントが始まりました。

 お二方のラジオはほとんど聴いたことがなかったのでどうなるのかなぁと思っていたのですが、予想を上回る面白さ。

 三澤さんのラジオ体操、バカうけでした。抱腹絶倒とはあのことでしたね。

 

 次のコーナーは……なんでしたっけ??

 記憶が消し飛んでやがる……脳みそが吹っ飛ぶ面白さだったんですね~~

 

 全体的にやっぱりちょろいメンバーは強かったですね。口を開けば会場がドッカンドッカン。

 個人的に江口さんを生で見れたのがグッドでしたね。イベント最終コーナーでの立ち振る舞いが完全に芸人でした笑

 

 

 そもそも私はシカコこと久保ユリカさんを追っかけるために、このイベントに参加しました。それで問題のシカコなんですが……

 完全に慣れない人たちに囲まれて所在がなさげでしたね。。。

 一人喋りしてるときの軽快なしゃべりはどこに行ったのか笑

 まぁ、緊張してるシカちゃんも最高に可愛かったのですがですが。今日もあの完璧なプロポーションを見れて満足でした。

 

 あと、上坂すみれさんが登場したときにおっぱいが揺れてた。

 やばいなあれ……揺れてたっていうか跳ねてたわ……

 コーナー中に小松未可子さんが上坂さんの胸にカメラを向けたときに上坂さんが「どこ撮ってるんですか!?」って行ってたのがさいっこうに萌えました。みかこしナイス~~~~

 

 

 ほかにも語るべきことは多くあるのですが、私も疲れがたまっているのでこれくらいにしておきます。

  

 

 

 皆さんもご自分のマフラーが本当にマフラーか確かめてみては?

 壮健で。

 

 (今日は一人喋りパーカーとちょろいスウェットに包まれて寝るぞー)

 

 

 

僕らは魔法少女の中

 今回は最近読んだラノベについて書こうと思う。

 いきなり読む人の限定されそうな内容で申し訳ないが、最後まで読んでくれたら嬉しい。

 さて、みなさんは「僕らは魔法少女の中」というライトノベルをご存知だろうか。九分九厘は知らないだろう。私も書店で見かけるまで知らなかった。

 最近この本の第2巻が発売されたようで、とある書店の新刊コーナーに並んでいた。そこで初めて目に留め、手に取った。タイトルに目が引かれたのだ。私がラノベを事前のリサーチなしで買うときは、たいてい表紙に可愛い女の子が書かれているときなのだが、タイトルが気になったというのはなかなかない。内容が面白そうだったらアリだなと思い、表紙のそでをちらりと覗き、あらすじを読んだ。タイトルからの期待にそぐわず、なかなか興味の引かれる内容だった。すぐにレジへ放り込むほどだった。一冊600円強って地味に高いよなぁラノベ。いくら使ったか考えたくもねぇ。

 

 ここで皆さん気になっているだろうあらすじを紹介しようと思う。

 世界で起こったとある戦争を境に、10~16歳のごく一部の少女が、「魔法少女」になる力を得た。そのとある戦争から数年後から物語は始まる。世界は魔法少女に支配されていた。人類は魔法少女に「飼われる」身となっていたのだ。魔法少女は人々から魂を喰らうことで生命力を得ていた。さらに魔法少女は不死身だった。ただひとつの息の根を止めることのできる方法は、魔法による攻撃だけだ。もちろん人間には魔法など使えない。魔法少女に蹂躙されるがままだった。魔法少女は家畜を管理的に扱うため、「空穀ファーム」へ閉じ込めた。

 主人公の生きる空穀ファームの支配者の魔法少女は、一週間に一度、生徒を生贄として求めてくる。もちろん拒めば命はない。そんな閉塞と絶望の庭は今日も生贄を選んだ。次に生贄に選ばれた生徒は、主人公の最愛の人だった。自分の命にも代えがたい愛する人を護るため、彼は絶対の敵、魔法少女を殺すことを決意する――。

 

大方のあらすじはこんなところだろうか。あらすじというか話の導入でしかないのだが、全内容をまとめるにはもう一度読まなくてはならなくなるので、勘弁願いたい。

 作者は御影瑛路さん。「空ろの箱と零のマリア」という作品が一番有名だろうか。まぁ私が御影さんの作品でそれしか読んでないだけなのだけれど。これもなかなか読みごたえのある作品だったのだが、数巻も一気に読むものじゃなかった。あんな暗い内容じゃ眠くなるって。

 

 この本は脳筋な剣と魔法のファンタジーではなく、割と頭を使って物語を進めていくものである。進めてほしい。進めてほしかったなぁ。結局筋肉が一番強いんだよね。先ほど挙げた空ろの箱と零のマリアは、人狼のようなゲームを扱った人の心理に迫る作品なのだが、この本でも前半はそのような心理ゲームから始まった。前作でもそうだったのだが、この作者の生々しい心理描写は見ものである。主人公は緊迫する状況と自責の念に押しつぶされて何度も吐く。のりに乗っているときは3ページに一回は吐いていた。もうどんだけ吐くの。

 (やべ、もうちょっとしっかりした感想を書こうと思ってたけど飽きちゃった)

 敵として登場してくる魔法少女はみーんな可愛い。美少女だらけ。たまんねぇわ。しかし、なんといっても可愛かったのはヒロインの山崎エリィ、もとい瀬戸リリィだ。いやー山崎エリィ可愛いよね。西友と結婚してぇなぁ。誤字った。声優ね声優。誰がスーパマッケトと結婚すんだよ。異種配合でとんでもねぇ遺伝子が生まれてしまう……

 閑話休題、瀬戸リリィちゃん可愛い。リリィは前述した主人公の最愛の人ではない。だからこその主人公を追いかける姿勢がとてもグッド。作中では主人公を支える大切なポジションなのだが、どれだけ主人公と心を通わせても、その奥底には違う人がいる。それを理解していてなお、「私は一番近くにいるから。いつでも待っているから」という気立てがたまらない。なんで俺の近くにはこんな娘いないの。俺の周囲は女人禁制なの?逆大奥かよ。あ、俺がモテないだけか。ほんと生まれなおしたい。

 敵魔法少女もなかなか可愛い。見た目は美少女だが、人類を家畜、もしくはそれ以下としか思っていないので、まぁ蔑み貶してくる。ドMにはたまらない。あっ…あぁっ……ありがとうございます!……ふぅ。

 まぁ私は言葉攻めとか鞭で叩かれるといった感じのプレイは趣味ではない。精神的に上位に立たれるというか、逆転ものがストライクである。性の女豹に食われてぇ。

 

 なんか真面目に感想をまとめようと思ったのだけれど、こんな感じになりました☆

 ま、ラノベ、小説を読むモチベーションは可愛い女の子がいるかどうかなので仕方ないね。推理小説とかマジ眠い。がんばって読むけど。

 とりあえず総括すると、2巻も買ってみたい思うほどには楽しみました。ラノベ読んでる時間が至福すぎる。女の子に癒されてぇなぁ。

 

 本格的に飽きたのでこれくらいにしておきます。これからもこんな感じにラノベの感想まとめたりすることがあると思いますが、お付き合いください。

 ほんとは最後にアマゾンのリンクでも貼って、アフィリエイトしちゃおうと思っていたのですが、情弱な私は、めんどくさそうだったのでやめました。まとめブログとかすごいよね。俺も楽して生きてぇなぁ。

 

 それじゃ皆さん、因果の交差路でまた逢いましょう。壮健で。

 

 (語尾が一貫しねぇなぁ)

ここを我が領地とす。

はじめまして。

でるたといいます。

満を持してのブロガーデビューである。

これで晴れて、ナウでヤングな若者たちへ仲間入りをしたわけであるが、ひとまずここではブログ開設に当たって、私が何を成したいか話したいと思う。

 

話は変わるが、目標というものは無益である。

人は年が明ければ、何かと新年の抱負を語りたがる。友人たちとウェイウェイいいながら、神社のカランカランいうやつを鳴らし、その場で急ごしらえた抱負を語るのだ。

しかしこの記事を読んでいる選ばれた民のみなは知っているだろう。このように立てられた抱負など達成されるはずのないことを。

翌日になれば、自分が何を願ったのかも忘れ、「来年から本気出す」などとのたまう。

そして、だらだらと時に身を委ね、年が明ければまた同じことを繰り返すのだ。

したがって、目標など立てるだけ無駄であり、だらだら過ごしてしまった後の後悔と喪失感を増すだけだ。これはもう逆説的に目標などないほうが精神的に優しいし、むしろその方が人生をすばらしく謳歌できるまである。できませんか。そうですか。

 

なんとも散らかった文章で申し訳ない、なにぶん現在時刻は午前6時46分、徹夜で学校から課されたレポートを書き上げたばかりなのである。優しい目で見てほしい。

 

結局何が言いたかったのかというと、このブログに行き着く終着点はないし、羅針盤もなければ舵もない。ふやふやと潮に身を任せて打ち上げられるマンボウようにこのブログはあるということだ。伝われ。

さらに言えば、次回の更新の予定もないし、ネタもない。皆さんとはこれで今生の別れになるかもしれない。

 

人生は一期一会、一つ一つの出会いを大切に。

 

それでは皆さん、壮健で。